2014年7月2日水曜日

八野英史 / 僕は僕の子供達を戦争へは行かせない

ここのところ、夜明け前の3時30分ごろに目が覚める日が続いている。

起きているのだか、眠っているのだかもなんだかよく判らない状態で、iPhoneを手にとり、ツイッターのタイムライン上に上がっていたリンク先をクリックして、とある曲を聴く。

その時点では無記名のため、誰の曲で誰がうたっているのかも不明確なその曲には「僕は僕の子供達を戦争へは行かせない」というタイトルがついていた。この曲を公開しているアカウントと、その曲をうたっている声から、その主が誰であるかは想像はついたのだけれど、強いイメージを想起させる言葉が羅列された中でのメッセージ性とそのスピード感にまずは言葉も出ず、何度かくりかえしくりかえし聴き直してみた。


「僕は僕の子供達を戦争へは行かせない」

僕は僕の子供達を戦争へは行かせない
人を殺していいと教えられるわけがない
僕は僕の子供達を戦争へは送らない
風邪をひきましたとズル休みをさせる

わたしはわたしの子供達を戦争へは行かせない
女を犯しなさいと焚きつけたりはしない
わたしはわたしの子供達を戦争には捕られない
足を挫きましたと見学をさせる

くだらない世の中だ
くだらない世の中だ
くだらない世の中だ
間違っている

総理大臣よりも大統領よりも国家主席よりも 僕を信じて

法律よりも宗教よりも お願い子供たちよ わたしを信じて

僕らは子供達を戦争へは行かせない
殺られる前に殺れとは口が裂けてもいわない
僕らは子供達を戦争へは送らない
そんな子はいませんと背番号を外す


(作詞・作曲・歌 八野英史〈b-flower / Livingstone Daisy〉

最初にふと想起したのは、曽我部恵一のソロデビューシングル「ギター」のこと、だった。

この曲はたしか、当時、曲ができ上がってからメジャーでリリースする際の時間のかかり具合に業を煮やしていた曽我部が、小西康陽の主宰レーベルインターナショナル・レディメイドから即時的にリリースしたものであったと記憶している。そして、その曲でうたわれていたのは2001年に発生した"あの事件"後の"戦争"に対する彼の想いやアプローチについて、であった。まだ"その事件"の後遺症が消えない中で届けられたその"うた"は、もともとの曲の良さなどを飛び抜けた生々しさをもって自分の耳と心に響いてきた。

そして、今回の「僕は僕の子供達を戦争へは行かせない」。この曲にも同じような印象を覚えた。しかも、曽我部恵一の「ギター」の時以上の強烈なインパクトでもって。

その音源は、わずか一時間ほどで書き上げられたメモ段階の曲をポータブルレコーダーに録ったままの状態のもの。そんなレアな状態のまま、YouTubeというメディアによって即時性を携えて届けられたこの曲を聴いて、その生々しいメッセージ性と同時にこの曲を綴ったアーティストの才能の確かさに僕はあらためて感服した(うたわれている内容や表現の仕方に関しては受け取り方はいろいろあってよいと思います)。

時間をおいてあらためて、そのアーティストのツイッターやブログ上でこの曲について紹介された際には「昨夜作った曲です。ポータブルレコーダー録音なので音は悪いですが、みなさん聴いてみてください」という簡素なメッセージとともに"八野英史"と名前が添えられていた。そう、80年代後期から90年代前期にかけて活動し、その後長期にわたる活動停止期間を経て、2012年5月に配信シングル「つまらない大人になってしまった」で復活したb-flowerのフロントマンの八野英史であり、2010年にLivingstone Daisyというユニット名で細海魚・岡部亘と活動を始めた八野英史である。

b-flowerといえば、一般的には(いや一般的には知られていないのか...)まるで英米文学のようなナイーヴで美しい歌詞と80年代英ネオアコースティックサウンドが噛み合わさったバンドとして語られることが多いけれども、同時にそんな繊細さと相反するような現実的で時に過激な表現も持ち合わせていたバンドでもある。

争うことが大好きな僕ら 滅びるまで自分の影にいつも怯え そして僕らは 利口な僕らは 毎日宿題を忘れ続ける(サトウカエデの下で)

love and peace? あぁとても素敵だよ change the world? 薄っぺらなオプティミズム save the earth? へえすごく正しいね save the whale? くだらないヒロイズム 死ぬまで僕ら生きていよう どうかな そういうのは(Love & Peace?)

切れそうなら 切れちゃえ 血を流せ 死ぬことなんて べつに怖くないわ Yeah! 喜びもときめきもないけど Yeah! あなた以外はバカばっかなの Yeah! 怒りとかどっかふっとんじゃうよな 止まらないHigh Love Me もっともっと ボリス・ヴィアンほど強くないけど 醜いもの皆 消え失せてよ(Yeah!)

肋の浮いた 痩せた少年だった日は遠く 月曜日の次に いつも決まって火曜日が来る 掲げていたシャングリラには 僕はきっともう届かないんだろう なんでこんなつまらない大人になってしまったんだ(つまらない大人になってしまった)

先日、ムクドリの会のDJ&アコースティックライブイベントに遊びにきてくれた八野さんが、打ち上げ時に、今、セルフカバーできる対象の曲とそうでない曲について話をしてくれていたのを聞いて、もしかしたら今後は今の自身の年齢を踏まえたいい意味での侘び寂び感や叙情感と美しさのある楽曲がソングライティングの中心になるのかな、とも感じていたのだけれど、この度のメモ曲を耳にして、やはり怒れる八野さんは消えていなかったのだな、と個人的にはものすごく嬉しい感情を覚えた。まるで錆びていないナイフのような、言葉の切れ味の鋭さったら、なかなか出会えるものではないよ。

b-flowerにしてもその他のユニット活動にしても、八野さんの発する音楽は、物事の本質や主流に対しての妥協なき視点やアプローチの取り方、ある種の安易な共感を排除した透徹した世界観が故に、孤高の道を進まざるを得なかった感はあれど、その表現の豊かさ・確かさはもっともっと周知されていいと思う。特に音楽好きの人にはね。

今後の八野さんの音楽活動に期待しています。あらためて。

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